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午前1時、

ベッドの中、お気に入りのパジャマを着て、友人におすすめされたドラマの二話目をプロジェクターで観ながら眠りにつく。

映像を見つめながら、ふと、おもう。

昨夏新しいお部屋に移り住んでから、プロジェクターはダクトレールに設置している。そのため、三脚で床に設置していた頃のようにぶつかって焦点がずれることもなければ、映像が障害物に遮られることもない。掃除もしやすく、ストレスフリーだ。

プロジェクターから視線を少し移すと、天井の一面だけがコンクリート打ちっぱなしになっているのが見える。これが、部屋を寒々しく感じさせない程度に無骨な雰囲気を演出しており、とても良い。

この部屋は立地もよい。都内の駅近物件とは思えないほど、静かだ。ときおり聞こえるのは、夕方過ぎの子どもたちの元気な声だけ。

少し歩けば、下町情緒あふれる商店街があり、タイムスリップしたような心地になる。

明け方の路地なんかは、しんとしていて、これまたどこか懐かしい感じがする。

さすが、芥川が最期の地として選んだ町というだけある。

何の情報も持たず、間取図と直感のみで選んだ場所。最寄り駅や路線さえ、契約の直前まで知らなかった。しかし、直感に従って大正解である。

ここでの暮らしは、心地がいい。

そしてそれをつくったのは、このわたしだ。

わたしは常々、暮らしというものは、一種のクリエイションだとおもっている。

お気に入りの家具。お気に入りの本。一つ一つ、自分が選んだものがこの部屋を、この暮らしをつくり、一日のおわりや、ふとした瞬間に、ここちのよさをプレゼントしてくれているのだ。

そうおもうと、わたしのことが愛おしくなる。

ありがとう、わたし。あなたのおかげで、わたしはいま、こんなにも満たされた贅沢な時間を過ごすことができています。

あなたは完全で、完璧だ。

はずかしいことなんて山ほどあるし、わたしなんかはもう、ひとには見せられないようなことばかりだ。

とつぜんセンチメンタルなきぶんになってほろほろと泣いてみたり、どうしてもジャンクな食べものが食べたくなってしまって、夜な夜な小さなクリームパイを焼いてぺろりと一人で食べちゃった日だってある。

そんなはずかしい部分をすべてひっくるめて、わたしは知っている、わたしは見ている。

それなのに、わたしを投げ出さずに、それどころか一秒先のわたしの気分が少しでも良くなるようにと選択し、生きてくれている。

そんな自分に、きちんと感謝できるような人生にしていきたい。これからも。

…そして、こんなふうに物思いに耽ってしまったのは、もしかするとほんの少しだけ、おすすめされたドラマが退屈だったのかもしれない。